40年経ってしまったんですよ、あれから。
当時、担任の水野先生はまだ30代、スポーツマンらしく浅黒くスラッとした、さわやかな体育の先生。
私たちは?
球技大会で、2年4組女子が随分活躍したような思い出。
バスケ部とバレー部のキャプテンがいて、大会前によく練習したのだから。学校全体で優勝したり、3位に入ったり。
他の思い出?
地方の進学校で試験ばかり。あまり勉強しなかったけれど、抑圧感を感じてたから、私にとって楽しかった思い出は少ない。
いろいろなことに捕われる自分が嫌いだったし、家族や周りに対しても尖がっていた。
それでも仲良くしてくれた友達もいて、久しぶりに会えてよかった。
彼女は40年昔も今も、おだやかで優しい。
今日集まった男子?や女子?は、学校や市役所の関係者が多くて、その他の人も、
地元にしっかり根をはやし、何十年も地域に貢献してきた人たち。
生まれてから数えて19回目の引越しをしたばかりの、根無し草のような私は異邦人。
何を話したらいいのかわからない。
自分の居場所から離れたくて仕方なかったし、ずっと同じ場所に住み続けることって、自分には無理だなあって思う。
どうしてかな?
いつも何かしらの刺激と変化を求めてるから?
それは素敵なことでも何でもない。
私は何かを追っているようで、いつも何かに追われている。
これから先もどうなることか……
3年住むとどこか他に移りたくなる。
もしも前世とかいうものが本当にあるのなら、旅芸人か流浪の民か。
一人で旅ができるのはフランスだけだから、やっぱりフランスに住んでいたのかな。
ヨーロッパのお城に閉じ込められたお姫様だったと、人から言われたことがある。
だから、自分の居場所から出たくて仕方無いんだと。
???さて?
牢獄に繋がれた罪びとだったのかも。
でも、ひとりで南フランスをうろついていると、からだのひとつひとつの細胞がピチピチ生き返ってくるように、幸福感で満ち足りる。そこかしこからの芳しいハーブの香りときらめく太陽が、至福の時を与えてくれる。
私が死んだら地中海に灰を撒いて、と家族にいつも言ってるけど、撒いてもいい場所があるのかどうかまだ調べていない。
飛行機代を遺しておくように息子たちから言われてるけど、遺しておくものがあったら、生きている内に、その分でまた渡仏してしまうよね、きっと。
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